八州事件と賃金見込額

(東京高判昭58.12.19)

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採用後、労働者に支払われる賃金が、

求人票に記載された基本給見込額を下回ることは許されるのでしょうか。

【事件の概要】


Yは、測量全般及び海洋地質その他の調査等を目的とする会社です。

Yは、昭和50年度新入社員募集のため、

昭和49年6月から9月にかけて大学、測量専門学校、

公共職業安定所及び高校に対し求人票を提出して求人斡旋を依頼しました。

Xらは、これに応募してYから採用試験に合格した旨の通知書を受け、

昭和50年4月1日からYに勤務しました。

求人票には基本給の見込額の記載があり、

Xらは漠然と求人票に記載された見込額は最低限支払われるものと期待していたが、

実際の基本給は求人票記載額を下回るものでした。

そこで、Xらは、入社試験の合格通知が送られてきた後、

YがXらに労働条件を明示した事実がないので、

Xらと会社間に求人票の記載賃金等を内容とする労働契約が成立していたと主張して、

Xらの入社時に遡り求人票記載の賃金見込額と実際にXらが受領した賃金確定額との差額の支払いを求めて争いました。

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【判決の概要】


Xらは、本件労働契約が成立した時に、

Xらの基本給は各求人票記載の金額で確定したものと解すべきである旨主張しています。

しかし、前記認定事実から明らかなように、

本件求人票に記載された基本給額は「見込額」であり、

文言上も、また次に判示するところからみても、

最低額の支給を保障したわけではなく、

将来入社時までに確定されることが予定された目標としての額であると解すべきであるから、

Xらの右主張は理由がありません。

すなわち、新規学卒者の求人、採用が入社(入職)の数か月も前からいち早く行われ、

また例年4月ころには賃金改訂が一斉に行われるわが国の労働事情のもとでは、

求人票に入社時の賃金を確定的なものとして記載することを要求するのは無理が多く、

かえって実情に即しないものがあると考えられ、

労働行政上の取扱いも、右のような記載を要求していないことが認められます。

更に、求人は労働契約申込みの誘引であり、

求人票はそのための文書であるから、労働法上の規制(職業安定法)はあっても、

本来そのまま最終の契約条項になることを予定するものでありません。

本件においても、以上のような背景から、見込額としての賃金が、

前記のような不統一の様式、内容で記載されたものといえます。

そうすると、本件採用内定時に賃金額が求人票記載のとおり当然確定したと解することはできないといわざるをえません(信義則との関係については、後に判示する。)。

そして、かように解しても、労働基準法15条の労働条件明示義務に反するものとは思われません。

けだし、採用内定を労働契約の成立と解するのは、

採用取消から内定者の法的地位を保護することに主眼があるのであるから、

その労働契約には特殊性があって、

契約成立時に賃金を含む労働条件がすべて確定していることを要しないと解されるからです。

このことは、通常新規学卒者の採用内定から入職時まで、

逐次契約内容が明確になり、遅くとも入職時に確定する(本件もそうである。)という実情にも合致します。

なお民法上も、雇傭契約において、

その効力発生までに賃金が確定すれば足りることは当然です。

思うに、求人票記載の見込額の趣旨が前記のようなものだとすれば、

その確定額は求人者が入職時までに決定、提示しうることになるが、

新規学卒者が少くとも求人票記載の賃金見込額の支給が受けられるものと信じて求人に応募することはいうまでもなく、

賃金以外に自己の適性や求人者の将来性なども志望の動機であるにせよ、

賃金は最も重大な労働条件であり、求人者から低額の確定額を提示されても、

新入社員としてはこれを受け入れざるをえないのであるから、

求人者はみだりに求人票記載の見込額を著しく下回る額で賃金を確定すべきでないことは、

信義則からみて明らかであるといわなければなりません。

けだし、そう解しなければ、いわゆる先決優先主義を採用している大学等に籍を置く求職者はもちろんのこと、

一般に求職者は、求人者の求人募集のかけ引き行為によりいわれなく賃金につき期待を裏切られ、

今更他への就職の機会も奪われ、労働基準法15条2項による即時解除権は、

名ばかりの権利となって、求職者の実質的保護に役立たないからです。

しかし、さればといって、確定額が見込額を下廻ったからといって、

直ちに信義則違反を理由に見込額による基本給の確定という効果をもたらすものでないことも、当然です。

本件につきこれをみると、

求人票記載の見込額及び入社時の確定額がYによって決定された経過は、

それぞれ前記認定のとおりであって、その当時の特殊事情、

すなわちいわゆる石油ショック(その大略は、公知の事実である。)による経済上の変動がYの業績にどのように影響するかの予測、

また現実にどう影響したかの現状分析に基づく判断から決定されたものであると認められ(同業他社も類似の状況にあったことがうかがわれる。)、

右判断に明白な誤りがあったとか、

誇大賃金表示によるかけ引きないし増利のための賃金圧迫を企図したなど社会的非難に値する事実は、

本件全証拠によっても認めることはできないのであり、

更に昭和49年12月ないし翌50年1月に内定者に一応事態の説明をして注意を促していること、

確定額は、見込額より3,000円ないし6,000円程度下廻って少差とはいえないにせよ、

前年度の初任基本給よりはいずれも7,000円程度上廻っていることを考え合わせると、

昭和50年4月1日、YからXらに提示され、

双方署名押印して作成された労働契約書によって確定した基本給額(その後月給制として改訂)が、

労働契約に影響を及ぼすほど信義則に反するものとは認めることができません。

【労働基準法15条(労働条件の明示)】


使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間その他の労働条件を明示しなければならない。この場合において、賃金及び労働時間に関する事項その他の厚生労働省令で定める事項については、厚生労働省令で定める方法により明示しなければならない。

◯2 前項の規定によつて明示された労働条件が事実と相違する場合においては、労働者は、即時に労働契約を解除することができる。

◯3 前項の場合、就業のために住居を変更した労働者が、契約解除の日から十四日以内に帰郷する場合においては、使用者は、必要な旅費を負担しなければならない。

【まとめ】


求人票に記載された基本給額は、

あくまでも賃金の「見込額」であり、最低額の支給を保障したものではなく、

将来入社時までに確定されることが予定された目標としての額であるので、

「見込額」と実際の「確定額」が相違してもやむを得ません。

【関連判例】


「日新火災海上保険事件と労働条件の明示」