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労働者が過重な業務によってうつ病が発症し増悪した場合、
使用者の安全配慮義務違反等に基づく損害賠償の額を定めるに当たり、
労働者が自らの精神的健康に関する情報を、
使用者に申告しなかったことをもって過失相殺をすることはできるのでしょうか。
【事件の概要】
Yは、電気機械器具製造等を業とする株式会社です。
Xは、大学卒業後の平成2年4月、Yに雇用されました。
Xは、社内において、与えられた仕事に関して、
真面目に取り組む努力家であるとされていました。
Xは、平成10年1月に深谷工場へ転勤となり、
液晶生産技術部アレイ生産技術第二担当となってプロジェクトリーダーを務めていました。
平成12年12月頃から長時間労働に追われるようになり、
平成13年1月頃からは多発するトラブルの対応に追われるなど、
精神的負荷を負いました。
また、同年4月に組織変更が行われ、3人の担当のうち1人が外れ、
5月からはXを含む2名体制となったほか、
Xは経験のない反射製品開発業務等も担当することとなりました。
Xは、同年4月に、神経科を受診した後、
同年6月からは頭痛・不眠・疲労感等の症状が重くなり、
神経科に通院するようになりました。
Xは、同年7月から8月にかけて有給休暇等を利用して10日間療養したが、
出勤後も元気がなく、医師のアドバイスにより同年9月から療養生活に入ることにし、
同月4日から30日まで休み、翌日から一旦出勤したものの、
同年10月9日、診断書をYに提出して欠勤を開始しました。
平成14年5月13日、Xは、医師の許可を得て午前中のみの条件で出勤したが、
同月15日より再び長期欠勤に入りました。
平成15年1月10日、Xの欠勤期間が所定の期間を超えたことから、
Yは、Xに対し、休職を発令したが、休職発令後も欠勤中と同様、
Xに対しカウンセリングを定期的に実施しました。
平成16年7月13日、Xは、産業医の要請に応じて職場復帰に関する主治医の見解を持参したが、
その見解は「今後も長期的な治療が必要」というものでした。
Y担当者は、同月23日、Xと面談し、職場復帰に向けたYの考え方を説明し、
Xに対し、職場変更、執務環境の整備等について説明し、
復職するよう説得したが、
Xは休職期間満了日までに職場復帰は不可能である旨告げました。
そこで、Yは同年8月6日、Xに対し、
同日付けで所定の休職期間満了を理由とする解雇予告を行った上、
同年9月9日付けでXを解雇しました。
そこで、Xは、うつ病は過重な業務に起因するものであって、
解雇は違法、無効であるとして、Yに対し、
安全配慮義務違反等による債務不履行又は、
不法行為に基づく休業損害や慰謝料等の損害賠償等を求めて争いました。
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【判決の概要】
(1)ア Xは、本件鬱病の発症以前の数か月において、
前記2(3)のとおりの時間外労働を行っており、
しばしば休日や深夜の勤務を余儀なくされていたところ、
その間、当時世界最大サイズの液晶画面の製造ラインを短期間で立ち上げることを内容とする本件プロジェクトの一工程において初めてプロジェクトのリーダーになるという相応の精神的負荷を伴う職責を担う中で、
業務の期限や日程を更に短縮されて業務の日程や内容につき上司から厳しい督促や指示を受ける一方で助言や援助を受けられず、
上記工程の担当者を理由の説明なく減員された上、
過去に経験のない異種製品の開発業務や技術支障問題の対策業務を新たに命ぜられるなどして負担を大幅に加重されたものであって、
これらの一連の経緯や状況等に鑑みると、
Xの業務の負担は相当過重なものであったといえます。
イ 上記の業務の過程において、XがYに申告しなかった自らの精神的健康(いわゆるメンタルヘルス)に関する情報は、
神経科の医院への通院、その診断に係る病名、
神経症に適応のある薬剤の処方等を内容とするもので、
労働者にとって、自己のプライバシーに属する情報であり、
人事考課等に影響し得る事柄として通常は職場において知られることなく就労を継続しようとすることが想定される性質の情報であったといえます。
使用者は、必ずしも労働者からの申告がなくても、
その健康に関わる労働環境等に十分な注意を払うべき安全配慮義務を負っているところ、
上記のように労働者にとって過重な業務が続く中でその体調の悪化が看取される場合には、
上記のような情報については労働者本人からの積極的な申告が期待し難いことを前提とした上で、
必要に応じてその業務を軽減するなど労働者の心身の健康への配慮に努める必要があるものというべきです。
また、本件においては、上記の過重な業務が続く中で、
Xは、平成13年3月及び4月の時間外超過者健康診断において自覚症状として頭痛、めまい、不眠等を申告し、
同年5月頃から、同僚から見ても体調が悪い様子で仕事を円滑に行えるようには見えず、
同月下旬以降は、頭痛等の体調不良が原因であることを上司に伝えた上で1週間以上を含む相当の日数の欠勤を繰り返して予定されていた重要な会議を欠席し、
その前後には上司に対してそれまでしたことのない業務の軽減の申出を行い、
従業員の健康管理等につきYに勧告し得る産業医に対しても上記欠勤の事実等を伝え、
同年6月の定期健康診断の問診でもいつもより気が重くて憂鬱になる等の多数の項目の症状を申告するなどしていたものです。
このように、上記の過重な業務が続く中で、
Xは、上記のとおり体調が不良であることをYに伝えて相当の日数の欠勤を繰り返し、
業務の軽減の申出をするなどしていたものであるから、
Yとしては、そのような状態が過重な業務によって生じていることを認識し得る状況にあり、
その状態の悪化を防ぐためにXの業務の軽減をするなどの措置を執ることは可能であったというべきです。
これらの諸事情に鑑みると、YがXに対し上記の措置を執らずに本件鬱病が発症し増悪したことについて、
XがYに対して上記の情報を申告しなかったことを重視するのは相当でなく、
これをXの責めに帰すべきものということはできません。
ウ 以上によれば,Yが安全配慮義務違反等に基づく損害賠償としてXに対し賠償すべき額を定めるに当たっては、
Xが上記の情報をYに申告しなかったことをもって、
民法418条又は722条2項の規定による過失相殺をすることはできないというべきです。
(2) また、本件鬱病は上記のように過重な業務によって発症し増悪したものであるところ、
Xは、それ以前は入社以来長年にわたり特段の支障なく勤務を継続していたものであり、
また、上記の業務を離れた後もその業務起因性や損害賠償責任等が争われて複数の争訟等が長期にわたり続いたため、
その対応に心理的な負担を負い、争訟等の帰すうへの不安等を抱えていたことがうかがわれます。
これらの諸事情に鑑みれば、原審が摘示する前記3(2)の各事情をもってしてもなお、
Xについて、同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるぜい弱性などの特性等を有していたことをうかがわせるに足りる事情があるということはできません(最高裁平成10年(オ)第217号,第218号同12年3月24日第2小法廷判決・民集54巻3号1155頁参照)。
(3) 以上によれば、Yの安全配慮義務違反等を理由とするXに対する損害賠償の額を定めるに当たり過失相殺に関する民法418条又は722条2項の規定の適用ないし類推適用によりその額を減額した原審の判断には、
法令の解釈適用を誤った違法があるものというべきです。
(4) これに加え、原審は、安全配慮義務違反等に基づく損害賠償請求のうち休業損害に係る請求について、
その損害賠償の額から本件傷病手当金等のX保有分を控除しているが、
その損害賠償金は、Yにおける過重な業務によって発症し増悪した本件鬱病に起因する休業損害につき業務上の疾病による損害の賠償として支払われるべきものであるところ、
本件傷病手当金等は、業務外の事由による疾病等に関する保険給付として支給されるものであるから(健康保険法1条,55条1項)、
上記のX保有分は、不当利得として本件健康保険組合に返還されるべきものであって、
これを上記損害賠償の額から控除することはできないというべきです。
また、原審は、上記請求について、
上記損害賠償の額からいまだ支給決定を受けていない休業補償給付の額を控除しているが、
いまだ現実の支給がされていない以上、
これを控除することはできません(最高裁昭和50年(オ)第621号同52年10月25日第3小法廷判決・民集31巻6号836頁参照)。
これらによれば、上記請求について、上記損害賠償の額を定めるに当たり、
上記の各金員の額を控除した原審の判断には、
法令の解釈適用を誤った違法があるものというべきです。
【まとめ】
労働者に過重な業務によって鬱病が発症し増悪した場合において、
使用者の安全配慮義務違反等に基づく損害賠償の額を定めるに当たり、
当該労働者が自らの精神的健康に関する一定の情報を、
使用者に申告しなかったことをもって過失相殺をすることはできません。
【関連判例】
→「川義事件と安全配慮義務」
→「陸上自衛隊八戸車両整備工場事件と国の安全配慮義務」
→「三菱重工業神戸造船所事件と元請企業の安全配慮義務」
→「高知営林署事件と国の安全配慮義務」
→「電通過労自殺事件と長時間労働」
→「山田製作所(うつ病自殺)事件と使用者の安全配慮義務違反」
→「前田道路事件と安全配慮義務」
→「日本政策金融公庫(うつ病・自殺)事件と安全配慮義務」